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『悪童日記』

Posted by pigmon2 on 06.2007 読書 0 comments 0 trackback
 主人公は戦時中、都会から地方の田舎町に疎開してきた双子の少年達。タイトルから連想する悪童というのと少し違う気がする。確かに彼らは法的、道徳的にやってはならないことを行うが根本的にはいい人間に属し、むしろ逆境にも負けずに逞しく生きる子ども達に共感すら覚えてしまう。
 双子の少年達が疎開してきたのは母方のおばあちゃんの家。このおばあちゃんが吝嗇で変わり者のハンガリー風がばいばあちゃん。佐賀のがばいばあちゃんと比べるとかなり皮肉屋で自分の孫達を雌犬の子と呼ぶ。おばあちゃんは近所の人達からは魔女と呼ばれている。おばあちゃんがおじいちゃんに毒を盛って殺したとさえ噂されている。ただ読んでいくとこの人も変わってはいるが全くの悪人ではないことがわかる。

 ただでは食わさないおばあちゃんのもと、双子達は労働をする。おばあちゃんや近所の人たちから殴られたり、罵詈雑言を浴びせられても傷つかないように、互いに殴りあったり悪口を言い合ったりして自分達を鍛える。おかあさんにかけてもらったやさしい言葉を思い出すと涙がでそうになるので忘れるように努める。戦時中で学校はやってないのでとうさんの辞書を使って自分達で屋根裏部屋でこっそり勉強もする。少なくとも前半はこの子達の子どもらしい発想の健気でひたむきな姿に感動する。

 原罪というものを考えずにはいられない作品だ。戦時中で動乱し食べるものがなく、いつ死ぬかもわからず、明日への希望も持てない中で、人間の性欲だけは健在する。犬と交尾をする少女、貧しい家の少女にいたずらをする司祭、双子と一緒にお風呂に入り自分の乳房を吸わせる司祭館の女中、マゾヒズムの性癖のある外国人将校。

 双子は司祭をゆすって隣家の少女にお金を工面してあげたり、将校や女中のお気に入りになって自分達が傷つかない程度に付き合ってあげ、それによりなんらかの報酬も得る。彼らは次第にオトナ達に取り繕うのが上手くなり、手玉に取るようになる。最初は支配されていたおばあちゃんですら、逆に支配してしまう。そういう意味では怖ろしい子ども達ではあるが、賢く逞しい彼等にオトナ達が魅力を感じてしまうのも肯ける。

 彼らは法的、道徳的にやってはならないことをするが、決して盗みはしない。お金が足りない時は労働を提供するよう申し出たり、うまく取り繕って解決する。乞食ごっこで得て戦利品はあっさり捨てる。それから決して嘘はつかない。この辺りの潔さがずる賢い彼等でも好感を持ってしまう所以かもしれない。

 もうひとつ痛切に考えてしまうことは、子どもにとって親とはなんなんだろう?ということ。双子はおばあちゃんや隣人達には親切だ。ところが自分の両親に対しては何故か突き放す。冷酷でさえあるように思われる。戦争が終わり迎えに来たおかあさんに従わずおばあちゃんとここに残ると主張する。おかあさんが来たことをまるで喜んでいない。

 おとうさんが長い間帰ってこなかったのは戦地へ行っていたからであり、おかあさんがおとうさんの留守中他の男と一緒になり赤ん坊を産んだことは状況が状況だけに本人に非があるとは言いきれない。ただ双子はおかあさんが他の男と一緒になったことを咎めたり憎んだりはしていない。むしろおかあさんにすっかり興味を失ってしまっている。

 子どもにとって親というのは消耗品だなと思う。子どもが子どもであるうちはなくてはならない存在。どんなつまらない親にでも子どもは忠実だ。ところが子どもが子どもでなくなってしまうと親は無用の長物になってしまうのかもしれない。この子達は境遇の中で子どもでありながらそうでない存在、子どもの皮を被ったオトナになってしまったのかもしれない。

 日本のことわざでも遠くの親戚より近くの他人と言われるように、人間関係って結局は係わり合いの中でしか育まれないのかもしれない。無用の長物と化した親に子どもが親切にするのは身近に接して世話をやいたりやかれたりする繰り返しがあるからに他ならない。オトナになって離れ離れに暮らしても係わりあった歴史が深ければ絆は存在する。

 本来子どもから見ればオトナというのは身勝手な存在だ。双子のおかあさんはいきなり子ども達を母親に預け、いきなり迎えに来る。子どもはどんな変化にも適応できる能力を持っている。もしも迎えに来た時、数日でも留まって子ども達と一緒に過ごし、事情を説明すれば理解のできない子達ではなかったはず。おとうさんはもっと身勝手だ。迎えに来たのはいいが、世話になったおばあさんにお礼も言わず、子ども達よりも妻を捜し求める。自分の妻が死んだ事実、別の男の子どもを生んだ事実を知ったら、子ども達を置き去りにして何処かへいってしまう。そしてまた何年かして、いきなり現れ子ども達に助けてほしいと嘆願する。

 もうひとり身が手なオトナの代表が隣家の未亡人。目が見えず耳が聞こえないということになっているが、本当はただ働きたくないだけで、体が不自由なフリをしている。仕事へも行かず、家事もやらず、娘の面倒もみない。生活は少し頭の弱い娘に物乞いをさせて賄っている。

 双子達は隣家の娘にはとても親切だ。いじめれれているところを助けてあげたり、お金や食べ物を調達してあげたり・・・ところが娘が外国兵に暴行されて死んでしまった後はその母親にはなんの援助も施そうとはしない。この母親の身勝手さに双子は前々から感づいていて、おそらく嫌悪していたんじゃないか?彼等がこの未亡人に行ったことは、気持ちがわからないでもないが冷酷だ。

 父親に対して行ったことは更に冷酷だ。この物語の終わり方はかなりぞっとする。

 この物語は絶えず一人称の『ぼくたち』で語られる。双子をはじめとしてこの物語に出てくる人達は誰も名前がない。それはそれで物語の進行にはさして問題にならない。ただ、とても不思議なのは双子というのは姿かたちはそっくりだから、よく知らない人が見たら見分けがつかない。ところが馴染みのある人は双子のうちのどちらであるかわかってしまう。姿はそっくりでも別の人格を持つ人間。考え方も異なるはずだしその人の人となりが醸し出されるため見分けがつく。ところが、この話の双子達は最初から最後までどちらがどちらだかわからない。絶えず2人で一人という感覚がついてまわる。

 久しぶりに読み応えのある本を堪能した。『ふたりの証拠』『第三の嘘』と続編が続くらしい。早く続きを読みたくてしょうがない。

 
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